翻訳と辞書
Words near each other
・ フォッカー Dr.I
・ フォッカー E.I
・ フォッカー E.II
・ フォッカー E.III
・ フォッカー E.IV
・ フォッカー EIII
・ フォッカー F-27
・ フォッカー F.32
・ フォッカー F.VII
・ フォッカー F.XXII
フォッカー F.XXXVI
・ フォッカー F27
・ フォッカー F28
・ フォッカー G.I
・ フォッカー M.5
・ フォッカー S.11
・ フォッカー S.14
・ フォッカー T.VIII
・ フォッカー V.6
・ フォッカー V.8


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フォッカー F.XXXVI : ウィキペディア日本語版
フォッカー F.XXXVI

フォッカー F.XXXVIFokker F.XXXVI、F.36)〔de Leeuw pp.100-3〕は、1930年代オランダフォッカー社で設計、製造された32人乗りの4発旅客機である。本機は同社製で最大の旅客機である。
== 開発 ==
1934年6月22日に初飛行を行った登録記号''PH-AJA''のフォッカー F.XXXVIは、尾輪式降着装置を備える片持ち式高翼単葉機であった。フォッカー社の伝統に則り主翼は全木製、胴体は鋼管に羽布張りであった。4基のライト サイクロン 星型エンジンを主翼前縁に搭載し、4名の乗員とキャビンに4座8列32名の乗客を搭乗させた。フォッカー社の技術者は離陸後は乗客が普通の音量で会話ができるようにキャビンの防音には多大な努力を払った〔 "The Fokker F.XXXVI" ''FLIGHT'', 26th July 1934, photos with main article〕。本機はKLMオランダ航空に納入されると1935年3月からヨーロッパ航路に就航した。ペイロードは十分であったが、ダグラス DC-2DC-3と比較してかなり短い航続距離と構造的欠点(全金属製航空機が整備性に勝ることは明らかになった)により僅か1機が製造されただけであった。KLMはこの機体を乗員と航法の練習機としてスコティッシュ航空へ売却した。スコティッシュ航空はイギリス空軍のために第12初等飛行学校(No.12 Elementary Flying Training School)を運営していた。本機は離陸時の事故で損傷した後、1940年に廃棄処分にされた。
イギリスエアスピード社は、イギリス国内で「エアスピード AS.20」として販売するために本機のライセンス生産権を入手したが、1機の注文も無かった〔Taylor, H.A.. ''Airspeed Aircraft since 1931''. Putnam. 1970. London. ISBN 370 00110 9〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フォッカー F.XXXVI」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.